月に手を伸ばせ、

届くわけなどなくとも。

2022/12/10 日記

 朝少しバタついて、PARCOについたのは開演まで30分を切っていた。幽霊はここにいるを観劇するためにはるばる一時間ほど電車に揺られ渋谷までやってきた。他の階でお手洗いを済ませ、エスカレーターで8階まで上がる。エレベーターは混んでいた。入口でチケットをもぎってもらい、パンフレットの購入列を横目に検温と消毒を済ませて赤い絨毯を踏む。パンフは帰る前に買おう。

 劇場に入る瞬間の高揚感がすきだ。誰かと一緒に始まるまで喋っているのもすきだが、ひとりで静かにただ幕が開くのを待っているのもすきだった。

 舞台の上には円形に白っぽい幕がひいてあった。カーテンと言ったほうが近いかもしれない。マーブルのような墨流しのような模様が幕に投影されている。幕の中、ひとつだけオレンジ色の電球が点いていた。チケットに記載されている席を探して腰を落ち着ける。開演まであと10分。やっと一息つける。風が吹き荒ぶ音がしていた。

 

 照明が落ちた。暗闇の中、ハミングが聴こえる。舞台奥から照明が当たると複数の大小様々な人影が幕に映る。少し不穏でおどろおどろしい雰囲気。照明の数が増えると影が乱視の裸眼で見た月のようにブレる。影は幕の中を同じ方向に歩き出す。まるで行進のように。下手から上手方向に幕が開く。隠されていたのは大きな砂場。砂の上を行進する人たちが袖へ捌けていき、二人だけ、砂場に残った。一人は眼鏡をかけ髭を生やした男。上手側で赤い布を三角に立ててその脇へ座った。布は焚き火に見立てているようだ。もう一人は軍服と軍帽を身に纏っている青年。黒い傘を差している。砂が滝のように降っている舞台中央に、青年は傘を差したまま立っていた。ざぁー、と傘に砂がぶつかる。雨の音に似ていた。曲が終わる。青年は砂の雨から外れると、傘を捨て置き、砂の下に隠れていたパイプ椅子を取り出す。椅子をそこに立て、座面へ登る。空を仰いだ。少し眉を顰めるとおもむろに黒いゴム靴を脱ぎ、それを逆さまにした。すると中から砂が流れ出る。

 

「───ッバカ野郎!」

 

 フッ、と会場の空気が緩んだ。クスクスとあちらこちらで笑い声すらする。すごいな、たった一言で。怒鳴ったのは眼鏡の男だった。

「ああ!すみません、穴が開いてしまってるんです。穴の開いたゴム靴ほど不愉快なものはない、まるで吸い上げポンプを履いて歩いてるみたいだ」

「それなら排水用の穴をもうひとつ開けときゃいいのさ」

「なるほど!面白い考えだなぁ」

 そんな身のない会話を、青年は見下ろして、眼鏡の男は見上げてしていた。男はどこか影になるような場所、橋の下だとか階段の影だとか、で雨宿りをしていたようだった。青年はその様子を見て具合いが良さそうだと言い、火にあたらせてもらおうとする。と、男は食べ物を巻き上げようとした。食べ物を持っていなかった青年はアスピリンという薬を渡す。(何粒か渡すだけのつもりだったが瓶ごと持っていかれた。)男が手鏡を取り出すと青年はひどく取り乱した。なんでも鏡を見ると頭が痛くなるらしい。

 ゆっくりあたれと男は置いたままだったパイプ椅子を畳み、砂の上に敷く。青年はその椅子に『なにか』を誘導した。『なにか』はゆっくりと椅子の上に腰をおろした。なにも、居ないように見える。でも確かにいるのだろうと、青年の動きが思わせる。

「…何をしている?」

「見えるんですか!?」

「いや。なにかいるのか?」

「幽霊なんですけどね」

「誰のーーー!?」

「僕の友達」

 オーバーリアクションの男に対して至極真面目に受け答えする青年の構図と会話のテンポ感が小気味良くて面白い。だがこれは演劇で、だから私にそれが見えていても良かったのにこの会話で私には幽霊のことが見えなくなった。

 青年はその幽霊に借りがあるらしい。幽霊の身許探しをする為に死人の写真を集めたいが金がないと話す。また、青年に見える幽霊は彼だけだった。周りの幽霊たちが期待してしまっていると彼に連れられ謝って回っていた。男はそれを聞いてなにやら金儲けの算段を思い付いたようだった。幽霊の存在は信じてはいないようだったが。

 男は大庭三吉、青年は深川啓介と名乗った。

 斯くして二人、いや三人の不思議な縁が結ばれたのだった。

 

 大庭と深川が歩いてる横をすれ違った中年の男が振り返り、「ああ!」と叫びながら走り去る。

 場面転換の為に幕が時計回りにぐるりと一周する。男はその外側を幕と反対向きに走る。時間の経過と疾走感がうまれる。

 新聞社の一室にその男が飛び込む。「ニュースだ、新聞屋さん!」と呼ばれた男、鳥居は取り乱すことなく、机に足を乗せたまま「まる竹さんじゃあないか」と宣った。「僕は今この書物を研究しているのだけどね──」と鳥居は続ける。報せがあって来ているのに聞こうとしない鳥居にまる竹はやきもきしながら台詞を遮るように叫ぶ。「大庭三吉を見たんだよ!」その名を聞いた途端、鳥居の顔が曇る。

 街でも大庭三吉が帰ってきた事は噂になっていた。「まだあの男が帰ってきて差し障りのある連中はいるんじゃないか」と。どうやら鳥居たちには差し障りがあるようだ。

 鳥居は部下の新聞記者、箱山に大庭の動向を探るよう指示を出す。余所者の箱山はうってつけだった。

 

 海の近く、ヒカリ電気という電気屋にやってきた大庭と深川。大庭の家らしい、久方ぶりの帰宅だからと窓から中の様子を盗み見る。中では大庭の娘、ミサコが電気の勉強をしたり、宣伝文句の練習をしていた。深川は結構可愛らしいぜ、と幽霊にも声をかける。奥から大庭の妻、トシエが顔を出す。ヒカリ電気は儲かってる様子はなく、ミサコは街に営業に出ると言ったがトシエは無駄だと一蹴する。トシエはいざとなれば貯金がある──そう言った。大庭はそれを聞いて目を輝かせる。金儲けの元手があると分かったからだ。

 大庭は八年間も行方をくらましていたらしい。意気揚々と家に入っても明らかに歓迎されておらず、また詐欺まがいのことをするのだろう、出でいけという妻と娘を口八丁で黙らせる。いいかモノの価値というのはな、金を払う人間が決めるんだよ。そう高々と話す大庭に深川は面白い考えですね、と言う。トシエとミサコの眉間には皺が寄るばかりだ。結局深川は大庭とヒカリ電気に滞在することになった。

 トシエは好き勝手させまいと大庭を呼び出し、とある事件の目撃者を知っていると大庭のことを脅す。と、盗み聞きしていたミサコが「じゃああの噂は本当なのね!お父さんは人を殺したのね!?」と叫ぶ。大庭ははぐらかすが事件に関わっていることは確かなようだ。

 家の外では探りを入れに来た箱山が一部始終を聞いていた。

 深夜。こそこそと夜道を歩く深川と大庭。

 『高価買います 死人の写真』と書かれたビラを街中の電柱に貼っている。大庭はミサコはどうだ?と深川に訊ねる。深川は感じが良いと答える。また幽霊も気に入っているとも。大庭はそれを受け流しながら、深川をミサコの結婚相手にどうかと考えているようだ。

 「後ろを幽霊がいっぱいついて来ているそうです」と嬉しそうに話す深川が指差した方をみると、二人を尾行している箱山がいた。金が入ったらなにをしたい、ゴム靴を新しくしたい、と笑いながら夜道に消えていく二人を箱山が追う。

 

 「大庭さん!きたきた!」

 深川がヒカリ電気に駆け込む。ビラを見て写真を売りに来た主婦に故人の本籍や特徴などを書いてもらうと、大庭は現金は一週間後に渡すと言って二五〇円の預り証を手渡した。主婦に死人の写真なんて何に使うのか、と訊ねられると大庭は研究だよと誤魔化した。怪訝な顔をしながら立ち去る主婦にヒカリ電気の周りで偵察していた箱山が近寄った。

 箱山は偵察した成果や主婦に聞いた話などを鳥居、まる竹、そして市長と金融業者である鳥居の兄の前で披露する。それを聞いた四人は箱山を部屋から退室させ、大庭はどういうつもりだろうかと話し合い、とりあえずもう少し様子見ということになった。

 日が暮れてからもまたヒカリ電気の偵察を続ける箱山。家の中に電気がついてあわてて隠れる。家の中では深川と大庭が幽霊の戸籍調べの事務を始める支度をしていた。ミサコとトシエも様子をのぞきに来たようだ。幽霊たちを室内に入れる為、大庭が入り口の引き戸を開けると立ち聞きしていた箱山と鉢合わせる。誰だ!と大庭が叫びながら箱山を引き入れるとトシエやミサコも巻き込みつつ言い争いが勃発。事務を始めたい深川が静かにしてくれ、と止める。箱山を外に出そうとする大庭を深川は新聞に載るならビラを書く手間が省けると宥めるが箱山は売り込み記事は高いと突っぱねる。大庭は箱山が鳥居の回し者だと分かると「大庭はある事件の目撃者を捕まえている」と伝えて記事を書けと交渉しその場はとりあえず収まった。

 さて、事務を始めようと机に向かっていた深川は大庭に写真の準備を指示すると意気揚々と歌い始める。椅子から立ち上がり足取り軽く踊り始める。いや待ってくれよ、こんなん神山智洋さんじゃん。関節がもう神山智洋さんなんですが。あっダメいきなりアイドルされるのちょっとだいぶ面白くて吹き出しそう勘弁して。 シュールとナンセンスを大いに押し出しておいて、急に歌い出して踊り出すのはミュージカルへの当て付けのようで少し笑える。

 歌が終わると本格的に幽霊の戸籍調べが始まった。幽霊の話を深川の幽霊が通訳して深川が記録する。少々手間がかかるが深川は誠実に、真摯に幽霊たちに向き合った。

 

 北浜新報に幽霊たちの話が掲載された。「目撃者」云々のまじないはまったくよく効いたよ、と箱山は大庭に言った。

 記事を書いた箱山は幽霊なんて信じてはいなかった。また、深川のことも。あんたは他の幽霊には親切だがあんたの幽霊の身元探しには身が入っていないと指摘する。仕方がないので深川は訳を話し始める。深川は戦地から帰ってきて、戦友の彼から話を聞いていたから、真っ直ぐに彼の家に連れていってやったそうだ。だが彼の家の人は信じてはくれず、挙げ句には何を勘違いしたのか彼らを軟禁したらしい。なんとか逃げ出してきたのだと深川は身を震わせた。箱山は信じてはいなさそうだったがまあ筋は通っているかとその場はひいた。

 先日写真を売った主婦が写真を取り戻しに来た。「あんたも欲しいがわしも欲しい。こりゃ値打ちがもっとあがるなぁ」これっぽっちの金で幽霊に祟られたら堪らないと言った主婦に大庭はそう言い放った。「いいの?売り付けようとしてるのよ!」という私の代弁のようなミサコの言葉に深川は「高く売るんだ、損にはなりませんよ」と答える。あ、いいんだ。そう思った。意外だった。深川は別に儲けたいわけではないはずで、だから悪徳商法のようなやり口は嫌がるのかと思っていたからだ。だが大庭が主婦に法外な金額を吹っ掛けると戸惑ったような止めようというような仕草をする。どうしたいんだこの男、と思っていたら深川は言う。「今はとにかく写真を集めないと」と。

 結局千円で決着がついて手持ちを全て持っていかれ落胆する主婦に大庭は今度は幽霊になって現れても困らない他人の写真を売ればいいと吹き込む。こうして安く仕入れ高く売るという形が出来上がった。

 どんどんどんどん、死人の写真で大庭も北浜の町も景気が良くなっていく。幽霊の写真だけじゃ飽き足らず、幽霊の治療や探偵、果てには講演会など、幽霊稼業は手を広げていく。

 真新しいスーツを纏った大庭や黒が基調だった衣装がきらびやかになっていく市民に比べ、深川の服装はほとんど変わらなかった。ゴム靴は新しくしたのだろうか。ヒカリ電気にて深川は幽霊となにやら話していた。やはり深川は大庭のやり方に不満があるようだ。だが幽霊は違った。自分が生きている人間に認められている事に気が大きくなっているように思えた。私にはなんと言っているかは分からないから深川の受け答えでなんとなく想像するに過ぎないが。

 深川とのやり取りで幽霊は苛立ったのか、急に彼の事を殴った。深川は最初は酷いじゃないかと非難したが、幽霊がそれに何か言って、いいさ少し殴ってみたかっただけなんだろう?構わないよ、痛くなんて無いんだから。と態度を変えた。また、幽霊が何か言う。深川は少し顔を引き攣らせ、いや痛い、痛いさ、と言い連ねた。次の瞬間、深川の身体が弾き飛ぶ。どっ。砂場に倒れ込んだ深川は幽霊から逃げ回る。痛い、やめてくれって、本当みたいに痛いな、すごいな君は。

「なんだ鬼ごっこか?」

 大庭がそう言いながら入ってきた。深川の顔に傷も腫れも無いのだから、殴られてるだなんて思いもよらないのだろう。

 深川は大庭にアスピリンはまだあるかと聞いた。大庭が心配すると少し頭が重いと言う。向こうにあるから取ってくると言った大庭を自分で取りに行くから大丈夫だと深川は諌める。深川になにやら四時に例の電話を忘れるなと念を押し、大庭は出掛けていった。

 

 大庭を待ち伏せしていたトシエも、随分と景気が良さそうだった。パーマを当てた髪、派手な柄のシャツと革の小さめのバック。はじめの平凡な主婦はみる影もない。トシエの大庭への要求は目撃者への口止め料だった。月三万と話がついてその場を去ろうとするトシエを大庭が尾けようとするも、すぐにバレてしまった。さすが、と言っていいものか、何故か夫の悪事は妻にはお見通しなのだよな。雨がぱらつきはじめた。

 

 ヒカリ電気でミサコはひとりごちていた。

「ああもう嫌になっちゃった!ちゃんと役に立つものがちっとも売れないで、ありもしないものが売れるなんてどうかしてるわ!」

店の中で傘を差した市民たちはミサコにしか見えないようだ。買い手がついたら嘘でも千円と歌う市民たちにウソよ!と言って店を出たところにしゃがみこむ。市民の合間を縫ってトシエが店の奥から出てくる。ミサコはトシエにお母さんがしっかりしてれば良かったのにと恨みをこぼす。私はお前ほど贅沢じゃないからねぇ、そう言い捨てトシエは出掛けていった。

 贅沢?私はただ普通に暮らしたいだけなのに。でも、普通?普通ってなんだろう。自問しながらも答えが出ず、ミサコは自棄になったように言い放つ。

「死んじゃったほうがマシかもしれないわね」

「お前が死んだら写真をおくれ、三百円!」

「よせよ!とんでもない!」

 市民たちの声に応えた言葉は深川のものだった。深川にはその声が聴こえるのか、ならば幽霊なのかな。そう思ったが、深川は深川の幽霊に、よせ、と言ったのだとすぐに分かった。

「彼が、言っているんだけどね、」深川は困ったような顔でそう前置きをする。─君が死ぬ時は彼の見えるところで死んで欲しい──君が幽霊になる前に見失わないで済むからって──君が幽霊を信じなくても構わないけど、幽霊になったら、死んじまったら嘘か本当かわかるさ───

 ミサコはひどくイライラしながら死なないわよと怒鳴った。深川は一瞬呆気にとられ、死なないんですか、と言ったあと安堵したようにそれがいいと言った。ガクン。いきなり前につんのめって、後頭部を押さえながらいや死んだって構いやしないんですがね!と正反対のことを叫ぶ深川をミサコが訝しむ間もなく、近くで雷が落ちる。大きな音に気を取られてると、深川は何か話しながら幽霊をどこかへ追いやった。急いでミサコの元に戻ってくる。「あのね、幽霊の言うことなんて気にしないでくださいね…電気屋さんでも雷が怖いですか!」途中、振り向きかけて青い顔で居直ると話の繋がらないことを大声で言う。バチン!初めて深川の身体が弾かれるにふさわしい音がした。イッタ!と頬を押さえる深川も、それを嘲笑う黒い服の人々もそのままに、ミサコは駆け出した。

 

 カーテンが回る向きと逆にミサコは砂場の周りを走る。二周ほどして、笑い声も風の音も聴こえなくなったあたりで、随分と走っていたのだろう彼女は砂の上に座り込んだ。

 ひょこりとカーテンの後ろから箱山が現れる。ミサコのことを尾行してきたらしい。「商売だからね」とおどけてみせる。ミサコはつれない様子だ。それでも話しを続ける。箱山は相変わらず幽霊を信じておらず、だから深川を悪く言った。ミサコはそれに腹をたてる。「幽霊さんはいるわよ」「そりゃ彼の頭の中にはね?」彼女は深川に幽霊が出てきた訳を聴いていたのだ。箱山はそれに興味を示し、ミサコは話しはじめた。

 どこか南国のジャングルみたいなところで彼らは敵から逃げ回っていた。水筒はたったひとつ。どんどん、気の狂った獣のようになっていく。二人はお金を投げて水筒をどちらかのものに決めてしまうことにした。深川は、負けたそうだ。だから顔を伏せて戦友が立ち去るのをじっと待った。ところが彼は立ち去る様子がない。たまらず顔をあげると、彼は気が違っていた。仕方がないので深川は彼をそこに座らせ、水筒を持って逃げたのだ──。ミサコはそう語った。箱山は最初はじっと聴いていたが、途中から飽きたように砂を弄っていた。話が終わると気の毒だ、と言ったが、続けて、でも戦地に行った奴はひとつやふたつそんな経験をしてるものだよ、とも言った。手に掬った砂を溢しながら、だけど大抵は忘れてしまうんだね、と付け足した。落ちた砂は風化していく記憶のようだった。

 あっ ミサコが急に大きな声をあげる。今あの岩端から人が落ちたわ──ううん、飛び込んだわ!伸ばされた人差し指のほうを見ながら箱山は水泳だろう?と言ったが、だって着たままよ!とミサコがすかさず反論する。ちょっと行ってみてくる、そう言い残して箱山は走り去る。砂場に取り残されたミサコをそのままに、幕が引かれる。ミサコの影が幕に写っている。影が、近寄ってくる。

 

 

 

 あ、幕間か。

 

 人がぱらぱら立ち上がって気付いた。はぁ、面白い。題材は重いかも知れないが今のところジャンルはギャグコメディかなって勘違い出来るくらい笑ってる。長くなってしまうのでめちゃくちゃ割愛したけどメタ要素が多くて楽しい。ヒカリ電気の入り口が持ち運び可能なところがすごいウケてたけど、個人的には壁の役割をしてる幕の下から箱山が部屋に入ってきたところが好きだ。価格価値はざっくり今の十分の一ってとこかな。

 しかし、尾を引く終わり方だったな。いや、二幕に続けなければいけないから一幕は気にかかる終わりをするものだけど。最後の場は笑うきっかけが少しも無かったからギャップで疲れてるのかもしれない。二幕が始まるまで動きたくなかったが、一応お手洗いに行っておこうと席を立った。

 あ、砂の掃除してる。ちょっと面白いな。

 

 

 

 幽霊あつめてジャムつくれ───

 どういう意味だろう。幽霊を煮詰めるのだろうか。二幕はそんな歌から始まった。

 幕が開くと、大庭が市長ら四人に向かって演説をぶっていた。幽霊後援会を作り、その会長と役員に──と、そんな話だ。

 多少派手になった服装から察するに、彼らもまたこの好景気の恩恵にあやかっているようだった。結局ほとんど服装が変わっていないのは深川と箱山、そしてミサコだけだ。(ミサコは一幕と二幕で違う洋服を着ていたが、元々持っていた服に着替えたのかと思う程度である。)

 大庭の口車に乗せられ、ほとんど話が決まると大庭は、今何時ですかな、四時!そしたらここに誰か幽霊さんがいたら事務所までひとっ飛びして深川先生に伝えてくれませんかねぇ。と大袈裟に言って見せる。でも私には幽霊さんが見えないから残念ですなぁ。ジリリリリ!黒電話の音でみんな飛び上がった。大庭以外。まる竹が電話に出ると、掛けてきた相手は大庭を指名した。深川に念を押していた電話はこれか、と私は分かるが、市長たちは大庭の「じゃあ本当に幽霊さんがいたんだねぇ」を真に受けて震え上がる。

 そこに箱山が駆け込んできた。事件だ、身投げだ、と箱山が言っても鳥居は掛け合わない。箱山はその身投げしたという教師の遺書の写しを持ってきていた。

「北浜新報で幽霊の話を読んで死のうと決意した。」

 箱山がそう読み上げるとさすがに皆知らん顔は出来なかった。遺書には、これは実験である──どうかお付き合い頂きたい、と自分が死ぬ時の服装が記されており、また、日記を深川宛に送ったので自分の幽霊が現れたら読んでやって欲しいという旨が書かれていた。

 沈黙が流れる。人が一人死んだ。この幽霊騒ぎのせいで。みんながそう思い、箱山ははっきり口にしたが、大庭だけは違っていた。「また金儲けの口が出来たで!分からんか?保険だよ保険!幽霊保険!」笑いながら言ってのけ、そのテンションに市長らは釣られて大庭の話を聞き入る。偉い人が見えないものを見えないと言えない状況はさながら裸の王様のようだ。箱山はその様子を冷ややかに眺めながら煙草をふかした。

 しかし何故、私は大庭に嫌悪感を持っていないのだろう。そうだ、一幕でミサコをはぐらかす時も「吉野って心臓の悪いじいさんがいてな、ワシはその横でおもちゃのピストルを撃っただけ。せいぜい過失致死ってとこだよォ」と笑って言ってのけてたっけ。登場人物の中で一番倫理観の箍が外れているのに、嫌な感じも、怖い感じもしない。不思議だ。役者がうまいのか、はたまた脚本がうまいのか。だってこの場で異色なのは明らかに一番まともな事を言っているはずの箱山だった。

「この先生の遺書はもうちょっと真面目に考えた方が良いんじゃないですか。」食い下がる箱山に鳥居たちは面倒くさそうな顔をした。なんたって彼らは『幽霊』がいた方が都合がいいのだ。言い争った結果、大庭の言いなりになっている鳥居が箱山にクビを言い渡し、箱山は職を全うした挙げ句に失ったのだった。

 

 ヒカリ電気。海の音が聞こえる。深川はまだ頭痛がするようだ。ザリザリと砂場に穴を掘る。その中になにを見たのか怯えたように震えてぎゅうと身を縮めた。

「深川さん、どうするつもり?あなたのせいで人が一人死んだのよ」

 ミサコが部屋に入るなりそう深川を問い詰めた。びっくりして立ち上がり、でも彼が言っているんだけどね、と言い訳をはじめる。一分に三人の割合で人は死んでいるんだからたいしたことじゃないと。ミサコは深川と二人で話したいと言った。幽霊さんは席を外してくれない?深川はいや僕は別に、と幽霊に向かって言う。

「ねぇ幽霊なら幽霊らしくするべきだわ!」

「彼はね、人間らしくしたいんだよ」

「それなら尚更よ!遠慮が足りないわ」

「でも人間らしくするってことは何かしなくちゃ。何かするってことは誰かに影響を与えるって事だろ。丁度ほら、誰でも自分の顔を鏡に写してみたいだろう」

「…でも、深川さんは鏡が嫌いね」

「だって僕は、僕じゃないから。彼の代わりに生きている代理なんだから」

 呆れ怒って部屋を出ていくミサコにねぇ何か欲しいものはないかって!と聞く。流石にそれは逆効果だろうと思うよ。

 そこにトシエが帰ってきた。手には写真。交通事故の現場写真だそうだ。買ったら三百円くらいになっちゃいますね、深川が言うとトシエは私だってもらうものはもらいますけど、と金を請求する。ミサコが目敏くトシエを呼び止める。ミサコは目撃者を知りたがった。トシエは言おうとしない。深川はなんの事かと訊くが誰も答えてはくれない。言い争う声に深川は頭を押さえる。まだ痛むようだ。

「お前があんまり分からず屋を言うから言っちまうんだよ。私だよ。私が見たんだ。どこへなりと吹聴して回るがいいさ!私は殺されちまうよ!」

「そう…お母さんだったの」

「なんですか、誰が殺されるんですか」

「なら仕方ないわね」

「やはり交番へ行くんですか」

「私だって怖かったんだよ」

 会話にもその場にも、深川だけが取り残される。まるで深川がいないものみたいに扱われて少し戸惑った。彼もまた幽霊みたいじゃないか。

 取り残された深川の元に男が四人。砂場の真ん中辺りにいた深川を囲むと、その足元にしゃがみこむ。怯えた様子の深川がそこを退く。四人はぐいっと砂場の下の布を持ち上げる。赤い床が顔を出す。それを見て深川はまたひどく取り乱す。戦争の音がする。また布を捲る。赤い床。安易にも血を連想した。それが血ならば、これは彼の忌まわしい記憶だろうか。それとも血に写る自分の顔が怖いのだろうか。思い出したように鞄を漁りアスピリンの瓶を取り出す。ざらざらと掌に出して一息に煽る。副作用という言葉が脳裏をよぎった。砂場に一筋引かれた赤い床に蹲る彼にはなにが見えているのだろう。

 

 幕を引きながら登場したのは白スーツを着こなした大庭だ。にこやかな張り付けたような胡散臭い笑顔に笑いが起こる。さっきまでの不穏な空気をぶち壊してく。登場だけでだ。もはや怖い。客席に話し掛けるタイムだ。楽しくないわけ無かろう。ずるい面白い。下手側に「幽霊後援会発表記念式典」の垂れ幕が下げられる。客席と(客はご時世的に声を出せないので大庭さんが一方的に)喋っているところに準備が整ったと声がかかる。

 それでは、と仰々しく挨拶が始まり、幕が開く。床を挟んで上手側の砂場には市長たち四人が、下手側には深川と幽霊が椅子に座っていた。まず市長──初代会長の挨拶。そして幽霊保険のバッチの進呈。次に幽霊服のファッションショーが始まる。おお、赤い床がレッドカーペットみたいだ~なるほどなぁ、と感心してる間もなく下着姿のモデル達が次々と出てきてはポーズを決める。本当に裸の王様をやるとは思ってなかったよ。

 そして、深川の幽霊の挨拶。

 二人が壇上に立つ。深川が前置きとして謝辞を述べ、幽霊の言葉を伝える。いちいち通訳するのは時間がかかるから昨夜二人で書いた原稿を読むようだ。鞄から原稿を取り出し、広げた。

 

「俺は誰だ!」

 

 びっ……くりした。心臓が縮こまる。鼓膜破れてないか心配になった。いや声デッカ、マイク要らんやろ。

 

 幽霊の季節だ──幽霊の季節がやってきた。

 俺は死にたい。俺は、生きたい。もう一度死ぬ為に、もう一度生きたい。

 

 原稿を読み終え、礼をして壇上から降りた深川に幽霊がなにか話し掛ける。丁度ダンスタイムが始まって陽気な音楽が掛かり、ショーのモデル達が音に乗りながら踊り出す。「ちょっと静かにしてください!」深川が大庭のマイクを取り上げて言ってのけた。

「彼は今重大な決心をしました。彼は、会長になりたいんだそうです。今、彼は二代目会長に就任しました!」

 大庭たちは慌ててその場を取り繕い、深川を引きずって退場させ、無理やり幕を閉じた。

 

 ミサコはヒカリ電気の引っ越しの支度をしていた。一段落ついたところで箱山がひょこりと顔を出す。あら、就職口は?とミサコが訊ね、芳しくないねぇ、と箱山が肩を竦める。そのやり取りから仲の良さというか、気の良いお喋り友達くらいの軽さを感じた。

「どうしていたの?後援会をやっつける記事を書くとか?」

「書くには書いて方々の新聞に送ったんだけどね、幽霊がいるって話ならともかく、いないなんて話は記事にもならないんだな。そうかもしれないな、神様は法律で保護されてるわけだし」

「そりゃそうよ、はっきり言えたことじゃないもの」

「それは違う。法律は別に神様を信じているんじゃない。既成事実を保護してるだけ。幽霊諸君もすっかり既成事実になってしまったな」

 砂を掴んでさらさらと落としながら箱山はそう言った。箱山は玉音放送を聴いたのだろうか。戦地にいたのだろうか。この国が保護している神様は菊花紋章の血だ。幽霊は北浜じゃあ神様と同じ扱いを受けているわけだ。

 箱山は小説のようなもの─といっても今回の実話だが─を書いているらしい。注文があったそうだ。その結末に悩んでミサコに相談しに来たと言う。結末の鍵になるのは『目撃者』だと思った箱山はトシエにカマをかけたと話す。

「あっさり巻かれちゃってね、あれは亭主を牽制する為の嘘だって。でもおかげで本当だって分かったよ。嘘ならわざわざ嘘だって言いっこない。君は本当に知らないのかい?」

「知らないと言えば知ってる証拠だって言うんでしょ」

 会話を続ける二人は存外楽しそうだ。箱山がわざわざ少し怒らせるような言い回しをするのは新聞記者の性だろうか。

 あら深川さんは市長さんたちとテレビに出ている時間だわ、とミサコがテレビを持ってくる。少しブスくれて随分と準備が良いじゃないかと言う箱山にだって商売ですものと返事をしながらダイヤルを回した。

 赤い道を挟んで下手側はヒカリ電気、テレビを床に置き二人は座り込んでいる。上手側はテレビ画面、向かって右から鳥居、市長、幽霊、深川の順で椅子に座っている。選挙運動のひとつのようだ。幽霊に誰に投票するかなどを聞いている。ミサコと箱山はテレビに茶々をいれる。

「彼は…会長は市長になりたいそうですよ」

 市長は椅子ごとひっくり返り、ミサコたちは驚嘆の声をあげる。機嫌を損ねるのが怖い鳥居たちは適当に茶を濁す。選挙は水もので、独身者は票が集まりにくいとか───なら結婚しても良いと言ってます。相手は大庭ミサコさんが良いそうです。市長らが放送をやめさせようとする中で深川ははっきりそう言った。ミサコは立ち上がってテレビに背を向ける。

「これじゃ、奴らが幽霊を食って太ってるんだか幽霊が奴らを食って太ってるんだか分かりやしないな…どうだい?君ももう高みの見物とはいかなくなったね。僕に協力する気になったかい?」

 テレビを消して箱山は言う。ミサコがなにか言う前に電話が掛かってくる。大庭だ。結婚の打診をしてきたわけだ。ミサコは拒否して、そして目撃者のことを言い出した。お父さんだって娘を売ったじゃない、同じことよ!そう言って電話を切るが箱山は顔を輝かせる。なんだ君知ってたの!頼む教えてくれないか、金なら用意するからと行く手を遮って言う箱山を通してとはねつける。

「ごめん、君に迷惑をかける気はなかったんだ。でも僕は全うな提案をしてるつもりなんだがなぁ」

「違うわ、箱山さんは自分の結末のことを考えているだけよ」

 

 幽霊会館で役員たちはやきもきしながら話し合っていた。結婚はともかく市長とは。どうしたものか。ああだこうだと口論していると、そこに吉田と名乗る老婆が現れ、自分は深川の母だと言う。大庭は日に二、三人そういう輩がくるのだと冷たくあしらい追い出した。さてどうするか、なんとかミサコをもう一度説得するか、代わりの女で手を打ってもらうのはどうだ?ショーのモデルの娘なんかはいいんじゃないか。なんとか結婚だけで我慢してもらおう。話がまとまり別室で幽霊治療をしている深川の元へと向かう。ミサコは了承していないと聞いて小さく息を吐いた深川は、でも彼はミサコさんじゃないと、と言った。お偉方は畳み掛けるように良い女がいるとプレゼンする。市長なんてどうでも良くなってしまうほどの別嬪だ。いや市長になるための結婚なんですから、市長にはなるそうです。堂々巡りになりかけてた時にまた先ほどの老婆が迷い込んでくる、が、また追い払われてしまった。

「彼はすぐ結婚して市長になるんでなきゃ、海に行っちゃうって言うんだ」

海?釣りか?ハネムーンだろと茶化されるが深川は大真面目にかぶりを振った。照明の赤色と青色が深川のいるところで混じり合う。

「ずっと沖の方に出ると幽霊たちの溜まり場があって、戦争の真似事をしてるんだって。そこに行くって言うんだ」

 彼が行くなら僕も行きますと言い出す深川を宥めすかして、とにかくその娘っこを連れてくるとお偉方は部屋を出ていく。

「市長のほうは選挙ということもあるで…」

「でも選挙を繰り上げることは出来るんでしょう?」

「それはまた研究しときます」

 

 どこか、道端だろうか。上手側、舞台の縁に男の人が座っている。きちんと整えられた風体でベージュのコートを着ている。そこにさっきの吉田と名乗っていた老婆がやってきた。どうやら知り合いのようだ。

「どうです?連れ出せそうですか?」

「だめ、怖い人ばかりで」

「弱ったな…僕じゃ警戒されてもあなたならなんとかなるんじゃないかと思ったんだけど…」

 二人はとりあえず旅館に戻ろうと歩き出す。するとミサコがやってきた。二人とすれ違って電話ボックスで深川に電話を掛ける。

「幽霊会館ですか?大庭です、すみませんが深川さんを…」

 ベージュのコートの男はそれを聞いて足を止める。ミサコの電話に聞き耳を立てた。

「深川さん?ねえどうなったの、幽霊さんの結婚話……なんてこと!あんまり馬鹿馬鹿しいわ!深川さんも今回こそは反省すべきよ!」

 治療室で電話を受けた深川は近くの幽霊にあまり電話を聞かれないように気にしながら受け答えをしていた。だが、彼の答えはミサコが期待しているものではない。

「はっきり言うのよ、誰もが深川さんみたいなお人好しだったらそのうちこの世は幽霊に占領されてしまうわ。…なぜ言えないの?……そう、じゃあもういいわ、いいえ、二度と会いたくなんかない。深川さん、あなたともよ。……でも…深川さんとだけなら会ってもいいわ。幽霊とお別れしてひとりきりになるまでは絶対にお会いしないことにするわ」

 立ち去ろうとするミサコを慌てて男が呼び止める。深川と知り合いなのかと訊かれミサコは怪訝な顔でどなたかしらと返す。失礼──私、こういうものです。弁護士をしております。そう言って男が差し出した名刺を見て彼女は狼狽えた。老婆は深川の母だと言う。戸籍謄本を持ち歩いているんだと封筒から中身を出してミサコの手に押し付けた。男は深川に引き会わせてほしいと言った。なにがなにやらなミサコは腰が引けていたが男の勢いに押し負けた。

「もし出来るならあなたはそうするべきだ。あなたも幽霊から彼を助け出したいんでしょう?」

 ミサコは、頷いた。

 

 幽霊会館にモデル嬢が到着する。あれよあれよと話がまとまる。彼女は月三万で幽霊と結婚することに決めた。ちゃっかりしてんなぁ…。

 ふらつく足取りで、泣きそうな声でミサコを呼ぶ深川を幽霊が後ろから殴る。治療室にモデル嬢とお偉方がどやどやと入ってくる。モデル嬢は幽霊を口説きにかかるが、見えていないので一苦労だ。深川がここだと言った場所に向かってラブソングを歌い踊り始めた。(幽霊はすぐに移動するが気付いていない。)

 そこにミサコと先ほどの二人組がやってきた。深川を呼び止めると、彼の顔にはミサコが会いに来てくれた驚きと、誰だろうという困惑が浮かんだ。大事な話があるそうよ、とモデル嬢の歌を遮ったミサコを大庭は詰る。なんなんだお前ら、帰ってくれ、今大事なところなんだ、大体ミサコ、お前あんなこと言っておいて恥ずかしくないのか──。

 

「よう、戦友」

 

 ベージュのコートの男はそんな大庭をものともせず、片手をあげてあっけらかんとそう言ってのけた。空気が凍る。誰もなにが起きているか解っていなかったが、なにか良くないことが起こっていることは分かったらしい。

 深川はじっと彼を見ていた。身体が固まってしまったみたいだった。なんとか息を吐き出してくるりと辺りを見回す。

「おや、彼がいないぞ」

「そりゃいかん、どこいらっしゃったかな、幽霊さん」

「ここにいるよ。幽霊はここにいる」

 なぁ吉田くん。わかるだろ、俺だよ、深川啓介だ───

 

 ジワ、首の後ろあたりから鳥肌が立って広がる。タイトル回収があるとは思っていなかった。だと言うのに展開のアツさと空気の冷ややかさが共存していて、少し不気味だった。

 諸々を察したお偉方は固まってモデル嬢を連れ部屋から退散した。深川は、少なくとも私がこの二時間強、深川だと思っていた軍服の男は明らかに狼狽え『彼』を探す。ふらふらと空中を探したかと思えば座り込んで砂の中を探すように穴を掘りはじめる。「いなくていいんだよ、吉田くん」その肩を掴んで制止すると、そのまま椅子に座らせた。「俺がもう少し早く知っていたらなぁ、俺はこうしてちゃんと生き残ってたんだから。いい土産があるんだ」と、鞄から取り出した水筒をまだ幽霊を探している彼の手に握らせる。空中から水筒に視線が移る。まじまじと水筒を眺め、確かめるように触ったり蓋を開けたりする。「あの水筒──そして、これがあの銅貨だ」銅貨も握らせて続ける。「覚えているだろうが、あの時賭けに勝ったのは、実に俺じゃなく君だったんだ。君は苦し紛れに君と俺を入れ替えちまったんだな」水筒を顔の高さまで掲げ、傾ける。中から砂がこぼれ落ちた。

「ちくしょう…」

 目を見開き、眉を顰めて彼はそう言った。

 ちくしょう。真実を知って口をついて出た言葉にしては多少の違和感があった。なにが悔しいのだろう。

 水筒の砂と連鎖するように天井から砂が降ってくる。彼が座っている真後ろに砂が注がれる。その頭の中に何かが戻っていくようにも、その後ろにいた何かが崩れさっているようにも思えた。

「一晩、君を引きずって歩いたんだよ。ジャングルを出たところで捕まって捕虜になってしまったというわけさ。だから君は俺を家に帰してやるつもりで自分の家に行っていたんだな。病院じゃ逃げたのが俺だと勘違いして僕を捕まえにきたのさ、通称深川で通ってたらしいからね。そこではじめて君の事情がわかった。だが君はそれきり行方不明…でも君のお母さんとはすぐに連絡がついてね」

 さらさらと、調子の良い語りが終わった頃、砂がやむ。

「…鏡を、みせてくれないか」

 ミサコが差し出した手鏡を受け取り、深呼吸をした。意を決して手の中の鏡を覗き込む。

「そうだ、おれじゃないか」

「あたりまえじゃないか!君は君さ!」

 深川が、否、吉田が正気を取り戻す。喜ぶ四人を尻目に大庭は消えちゃったい!とどっかり座り込む。そこにトシエが入ってくる。お母さん、よかったわ、幽霊さんいなくなっちゃったのよ。と晴れやかに言う娘に良かった!?と気は確かかとでもいう勢いで食って掛かる。大庭はこうなりゃ逃げるが勝ちだと言った。

「彼はもう…本当に帰ってこないんだね」

「彼がいないとさみしい?」

「どうして?ずっと、僕のたったひとつの願いは一人っきりになることだったんだ…もう彼はいないから、僕と会ってくれる?」

「もう会ってるじゃない」

 あ、そっか。ふにゃりと吉田は笑った。

 

 さぁ宿で一杯やろうぜ、と深川が会館から出ようと促す。ミサコが振り返って両親に声をかける。

「ねぇお父さんたちも来ない?」

「そうですわ、是非とも御一緒してください、倅がご厄介になりまして…」

「いえいえ、いたりませんで」

 吉田の母がそう言うと、急にしゃんと立って胸を張る大庭。見栄っ張りだなぁ。

 お偉方がバタバタとやってきて出ていこうとする一行を止める。外には腕っぷしの強いのがおるで、とまる竹ががなるが、ミサコはものともしない。「目撃者のこと言われたら困るのはそっちでしょう」と言ってのける。まる竹が尻餅をついたのを見て満足げに笑って踵を返したミサコにみんなついていく。

「あらどうして?私結婚してもいいわよ」

 大庭にも逃げられ、もうおしまいだと嘆くお偉方に向かってモデル嬢がいけしゃあしゃあと言い放った。椅子にしなだれかかりながらケラケラと笑ってのける。

「私だってその方が都合がいいのよぉ、だって私シケピンなんだもン」

「相手なんか居やしないだろう!」

「おんなじことじゃない?最初っから居やしなかったんでしょう?つまり居ることにしたらいいんでしょ…あら、幽霊さん、そんなところにいらっしゃったの…?」

 さっきミサコに遮られた歌を歌い出す。市長たちはお通夜ムードが一変した。こりゃあ良い、ああ命拾いした、今度のは市長だのなんだの言わないし────

「馬鹿にしないでよ」

 ドスの効いた声が響き皆が黙る。嫌そうな顔をしていたモデル嬢がふっと笑顔に戻し、これで私の好い人もなかなかやかましいのよ?え?…やっぱり市長になりたい?お偉方の顔が引き攣った。それがだめならぁ…家を一軒建てるだけでも良いんだって。もちろん、会長は留任よ。ちゃっかりしてんなぁ…。お偉方は顔を見合わせ、頷いた。

 

 外を歩いて行く一行。雨が降っているが清々しい面持ちだ。(約二名は除く)

「おいちょっと待ってくれ!」

 そう、走ってきたのは箱山だった。ミサコが欲しかった結末がついたわね、と言ったのを慌てて否定する。

「とんでもない!まだ続きをやっているのを知らないのか?あの娘っこが幽霊が見えるって言い出したんだ!」

 一行は驚くがどうするつもりもないらしい。大庭とトシエは悔しがっているが、吉田が行ってみようか?と興味本位くらいのテンションで言って、深川によせよ、どうだって良いだろ、と笑われた。箱山はそれを聞いて戦慄いた。

「どうだっていい?こんな不正を黙って見ててもいいってのか」

「箱山さんだってそう言って結末をつけて報酬がほしいだけなんじゃないの」

「そりゃひどい。僕はただ筋を通すついでに自分を大切にしたかっただけじゃないか…」

 箱山を残して一行は去っていく。行きかけたトシエが大庭にこのまま見過ごすのかと詰め寄る。今度の幽霊さんはワシのことなんぞ相手にしてくれんと言う大庭に、ならあんたも見えることにしちまえば?と言い出す。まだそこにいる箱山に聞こえないよう傘で隠して、口止め料はちゃぁんと貯めてあるよ、目撃者は私だったのさ…。傘を降ろすと上機嫌の大庭が顔を出す。お前やっぱり良い女房だ!見える、見えるぞ!ほら、うちの人にだって幽霊が見えるんだよ!

 砂場の外で箱山はそれを眺めている。それからモデル嬢や市長たちも行進してくる。歌を歌いながら砂の上を練り歩く。箱山はただ黙って、眺めて、いつものように手帳になにか書き込む。一番後ろに並んでいた吉田が一人砂場を抜ける。幕が閉まって、カーニバルの人影が映し出される。箱山と吉田はそれを眺めていた。

 ふと、飛行機の音がした。それと銃声。幕に真っ赤な照明が当たる。外側は吉田にだけライトが当たっていた。吉田は水筒を手に携え、足を引きずっている様子だった。バラバラバラ、幕の人影が崩れ落ちる。吉田は空を仰いだ。

 海に行っちゃうって言うんだ───

 深川の言葉を思い出した。幽霊たちが渦になって戦争の真似をしている、海。幕が開く。椅子やらなんやらがぐちゃぐちゃに放られた砂場の真ん中、赤い道を彼は歩いて行く。砂が降っている。軍帽をかぶって前を向く。暗転。

 

 

 

 終演。カーテンコールで八嶋さんとふざけ合ってるのを見てカンパニー仲良し…とほっこりした。

 規制退場のアナウンスが入る。外階段が一番早いと案内があったのでそっちから出た。へぇ、PARCO劇場ってこんなところに出られるんだ。知らなかった。渋谷の街を一望とはいかないが、それなりに見晴らしが良い。冬だから風は冷たいけどまだ日があるからそこまで寒くはない。…風も目には見えないな。そういえば「皆さんは今、空気じゃなく幽霊を呼吸しているようなもの」って演説の時言ってたな。空気も見えない。これがなければ生きてはいけないわけだし、突き詰めたら見えるものだって全部原子で出来てる訳だから分解したら砂になっちゃうなぁ。砂にはならんか。砂…そういえば深川は穴を掘る事が多かったけど、箱山は砂を掬ってこぼす事が多かった気がする。

 今朝はろくに食べられなかったから流石にお腹減ったな。優しいものが食べたい。センター街にはなまるうどんあったよな。調べようとスマートフォンを手に取って、電波も見えないなぁって思った。流通とか経済とかそういうことはあんまり分からないから、あとで調べて分かった気になろうと思ってたけど、これ感覚的に一番分かりやすいかも。通信料って見えていないものにお金払ってる。いや、詐欺られてる訳でもぼられてる訳でも(たぶん)ないし、もう生活していく上でないことは考えられない。でも私たちは電波によく弄ばれてる。通信障害だとかサーバーダウンだとか。それでも人はお金を払う。払う人間が価値を決める。

 センター街のはなまるうどんは潰れていた。結構前に。店が閉じてもすぐに新しい店が出来る。いつまでも開発が終わらない変わり続けるこの街が明日瓦礫の山になっていない保証だってない。そんな砂上の楼閣みたいな現実で足を取られないように踏みしめる。砂の上を駆けた人々を思い出す。私よりずっと上手に歩けてると思った。

 結局丸亀製麺に行った。かけうどんを頼んで席についたところではたと気づいた。パンフレット買うの忘れてた。