月に手を伸ばせ、

届くわけなどなくとも。

緑色の目をした怪物のお話


新橋演舞場で9月2日から約1ヶ月上演していた舞台オセローが昨日9月26日に千穐楽を迎えた。
とにかくお疲れ様でした、の一言に尽きてしまうほどエネルギー消費の激しい舞台だった。観てるこちらが痩せるのでは?と思うほどにカロリー消費量が高い舞台だった。


そしてあの黒い悪魔に、白い天使に、そして緑色の目をした怪物に魅せられてしまったから備忘録として残しておこうと思う。





とかまあかっこよさげに言いましたがただのいちオタクの考察と自己解釈です。ネタバレやら含みますので自己責任でどうぞ。








イアーゴーの筋書きと誤算


まず、話を動かす原因であるイアーゴーの頭の中にあった筋書きを簡単に書き出してみると、

  • 目的
  1. 副官に昇格する事
  2. オセロー(あるいはキャシオー)に復讐する事
  • 手段
  • キャシオーとデズデモーナが不倫をしているとオセローに吹き込む
  • 結果
  • オセローは嫉妬に苦しみ、キャシオーから副官の座を剥奪する


と。まあとても大まかですが。
まず目的①から。
副官に昇格する事に何故ここまでこだわるのか。
だって言い方は悪いけど将軍とかじゃなく副官だし昇格するくらいならまたチャンスがあるのでは?そう思った訳なんですが答えはあの地球儀のシーンにありました。
静かな笑顔で小さな子供みたいに大きな地球儀を弄ぶイアーゴーの後ろで流れているのが戦争の音だと気づいて、
ああ、この人は世界を手に入れたいんだ。
そう思いました。
その為にまず副官の座を手に入れなければいけなかった。
それが副官にこだわった理由です。
(追記
“副官”というよりかは“昇格”にこだわったのでしょうね。
ここの日本語がずっとおかしいなーと思ってたんですけど、やっとしっくりきたので。


目的②
この復讐は女房(エミーリア)を寝盗られた事に対して。これは本編でイアーゴーが言ってた通りですね。独白での言い方をみるとプライドを傷つけられたから仕返しする、とも取れるけれどイアーゴーはちゃんとエミーリアを愛していたんだろうなぁと思います。

オセローへの、キャシオーへの憎しみは副官にしてもらえなかった事やのうのうと副官に治まっている事も含めて強く語るのに、エミーリアに対してはひとつも憎しみを語らず、恨み言ひとつ言わなかった、否、言えなかった。

“惚れていながら疑い、怪しみながらも深く愛してしまっていた”から。

憎まれ口を叩きながらもアイコンタクトは多く、ハンカチをよこせ、と奪おうとするもひらりと躱されたのを怒るわけでも嫌な顔をするわけでもなく、ふ、と顔を綻ばせ、腕を引き抱き寄せて腰に手を回して帰す前に優しくキスをし、ハンカチの事を言いふらされる事くらい容易に想像出来たろうにその前に殺すこともせずに、悪事を暴露された後にほんの数秒殺す事を躊躇って、刺したあともすがり付くエミーリアを振り払えずに、逃げるために扉をほうを向いたのに一瞬立ち止まって振り返ってしまったのも、全て、愛していないとは到底思えない行動で。
何より
イアーゴーは浮気もしてなければ暴力を振るってもいないのです。

イアーゴーからエミーリアへの愛はあの世界の中で一番全うなものだったと思う。


手段はまあ本編そのままですね。


結果
これもその通りになったような気がしますがこれが大誤算だった。なにがってオセローの嫉妬の対象はキャシオーに向く予定だったのにデズデモーナに向いてしまったから。これが予定が狂い始めた元凶。

オセローを見誤っていたのは「竹を割ったような性格で」の言葉の通りさっぱりとして曲がったところの無いような人間だったから愛しのデズデモーナに手をあげるような事は無いだろうとイアーゴーは踏んでいた。
だけどもうひとつ、素直で信じやすいという側面と、オセローは異国人という二点が誤算の原因でした。異国人だからヴェニス人にヴェニスのお国柄を語られてしまうと信じざるを得なかったんです、
「良心があるから分からないようにするのです」
という言葉を。


そしてつまりイアーゴーはデズデモーナに危害を及ぼすつもりは毛頭無かった。それがあの台詞。

「俺もデズデモーナに惚れている」

何故バレたらそれまでの嘘しかつかなかったのか?相手が誰であっても“浮気をした”という既成事実を作ってしまえば確かなのにそれはしなかった。
デズデモーナに求婚しているロダリーゴーの橋渡しを頼まれているのにはぐらかし続けた。
「女房には女房だ」とまで言ったのに自分で寝取ることも誰かに寝取らせることもしなかったのは“惚れている”から。

え?いや惚れているなら寝取るんじゃない?惚れてるのは復讐のためとも言ってたし。ていうかさっきエミーリアを愛してたゆうたやんけ。ってなるよな、わかる、ごめん。
でもこの“惚れている”は恋慕ではない部分のほうが大きいと思うんです。人柄に惚れる、とかそういうほう。
憧憬に近いものだとすれば、デズデモーナを誰かに汚される事やデズデモーナが貞淑でないことを一番嫌っているのは実はイアーゴーで、デズデモーナを寝取るという選択肢は最初から無かったというのも納得出来る。

だからオセローがデズデモーナを殺すと断言した時憎しみと悔しさが混ざったように歯を食いしばり、デズデモーナがぶたれた時は目を見開いて信じられないものでも見るような顔をして、デズデモーナが泣いてすがりついてきた時も驚きに身を固めて抱き締める事も突き放す事もせず、自分が首を締めて殺しなさいと言ったくせにデズデモーナの死体を目の当たりにした時にはあんなに動揺してみせた訳です。

まあこれはデズデモーナだけでなく皆に言える事ですがね。
イアーゴーの筋書きでは人が死ぬ予定なんて無かったのですから。

こうしてトントン拍子に進んでいるように見えて、実のところ猛スピードで線路を逸れた電車がブレーキも効かず、元の線路に戻す事も出来ないまま崖から落ちてしまったのがイアーゴーの筋書きだったのでした。





二人の強かな女性


デズデモーナとエミーリア。
この二人の女性は正反対の考え方をしていた。

全世界が手に入ろうと夫を裏切る事は決してしないと言うデズデモーナと全世界が手に入るなら浮気の1つや2つするというエミーリア。
分かりやすく対照的な考え方の二人の共通点は夫の為だということ。

デズデモーナは夫の為に貞淑で在り続けた。

私が現在過去未来、心底夫を愛さないことがあるなら、心の平安などいらない

と、そう叫ぶ。
そうしてエミーリアに問いかける。

そんなことをして夫を裏切る女なんているのかしら

と。
個人的にここに違和感がありました。
確固たる意思を持って誓いを立てるのにこの質問は純粋すぎやしないか?と。
世間知らずのお嬢様だから?ともんもんとしているときに戯曲本のあとがきを読みました。

原典でオセローがデズデモーナをmy girlと呼ぶシーンがあるそうで、普通そのような呼び方をするときは父娘であることが多い。つまりオセローとデズデモーナは父娘ほどの年の差があったのだと。
なるほど、確かに貴族の求婚を求められる娘の年頃を考えれば簡単だ。10代後半から20代乗るか乗らないかくらいだろう。

デズデモーナは純真無垢な少女なのだ。

そう思って腑に落ちました。
オセローがキャシオーの復職を頼まれた時それを微笑ましく見つめていたのも、エミーリアが守るように覆い被さったのも、イアーゴーが子供をあやすように「泣かないで」と言ったのも、
デズデモーナが少女だからだったのだ。
そして純粋であるが故に強い女性だった。


対してエミーリアは夫の為に浮気をした。一見矛盾しているように思えるが彼女の言葉にある、

亭主を皇帝に出来るなら浮気の1つや2つしますよ、私なら煉獄の苦しみにあってもやりますね

これが全てを物語っている。
前述したようにイアーゴーは世界を手にしたかった。そしてエミーリアが浮気をした相手はオセローとキャシオー、イアーゴーの上官である二人。

エミーリアはイアーゴーを昇格させるために浮気をした。
良心があるから分からないように。

そのあと
妻が過ちを犯すのは夫のせいだと思います。
と語るが、夫が浮気をするから、暴力を振るうから、腹いせにお手当てを減らされるから。これらにイアーゴーは当てはまらない。だからこれはオセローの、または世論の話をしているんだと思っていたのですが、最後に
妻は夫に倣ったまでと分からせなきゃ
と悔しそうな顔をして言うんです。そしてその後に泣くんです。

言い訳をしているんだ。夫のために夫を裏切った罪の後ろめたさと罪悪感を、夫のせいだと言って正当化したいんだ、この人は。

エミーリアは強い女性でした。強すぎるくらいに。
剣を突きつけられても恐くないと言って北風が吹きすさむように真実を語る姿は強い以外の形容詞は思い浮かばなかった。
でもその分脆い人でもあったと思います。言い訳をしなくては罪悪感で押し潰れそうになってしまう程度には。


こうして脆そうで強く、強そうで脆い二人の正反対の女性は泣き顔で笑い合いながら男の人なんてと手を取り合って月の光の中で神に祈りました。悪事から悪事を学ばないように導かれるよう。




緑色の目をした怪物


それは勝手にどこからともなく生まれてくる怪物です


これはエミーリアの台詞です。
緑色の目をした怪物で、のくだりは有名だけどこの物語ではもう一度、嫉妬を怪物に例えられている。

オセローの中に怪物を生まれさせたのはイアーゴーの言葉ですが、イアーゴーの中にははじめからずっと怪物がいるように思えました。
少なくとも机の上で悪事を考え付いた時には既に。
机の上に立ち、悪事を思い付いたと笑い叫ぶそれは、デズデモーナと結婚したオセローへのものや、副官になったキャシオーへのもの、はたまたエミーリアを良いようにした二人へのもの、それだけだったとは思えないほど大きな怪物を内に秘めているような気がしました。もっとずっと前から根付いている何かがあるのではないかと思ったんです。

そして戯曲本の解説でその根元を見つけました。
それはこの物語は人種差別を主題に置いているように見えるが、実は階級社会に主題を置いている、というもの。
将軍という地位に身を置く管理職の軍人であるオセロー、算術の学者であるキャシオー、不動産所有者、つまり地主であるロダリーゴーと主要男性人物はほぼ上流階級に属している中でイアーゴーだけが上流階級に従属する側の人間なのだ。
そして軍人のイアーゴーは昇進する以外に階級を上げる手段が無かった。

“今の俺は俺じゃない”

所詮は黒人だと、軍人としては能無しだと、阿呆の金づるだと見下していた相手は全員イアーゴーよりも上の地位にいたのだ。
自分のほうが実力があるのに、何故認められないのか。
この劣等感とコンプレックスがいつの間にか怪物へと成り果て、気付けば内に抱えて生きてきたのだろう。

嫉妬に狂ったオセローに首を絞められた後、「正直に生きれば馬鹿をみる」と言うイアーゴーはオセローにはどう見えたのだろうか。
デズデモーナを宥めて晩餐へ送り出したあとに、白く美しいものを見たあとに、鏡に映った自分は一体どう見えたのだろうか。
勇敢だと謳われたオセローが恐れたように後退り、自分を見ているはずなのに驚いたように尻餅をついて背を向け悲痛な叫びをあげたのは、気付けばイアーゴー自身が怪物へと成り果てていたからではないでしょうか。




イアーゴーにかけられた呪い


言霊というものがあります。言葉には不思議な力があって嘘が本当に成ったり、良い言葉を言えば良いことが起こり、不吉な言葉を言えば良からぬことが起きる。
イアーゴーはそんな言葉の呪縛に掛かってしまった。

オセローがイアーゴーの足を刺して死ななかった時、オセローは言った。
“残念とは思わない。今の俺にとっては死ぬことは一番の幸せなのだから”

ロドヴィーコーには
“この下郎はできるだけ長く苦しめ、すぐに死なないような極刑があればそれに処する事にしよう”
と刑罰を下される。

そして原作にはないラストシーン。
はじめて観たとき何が起きたのか分からなかった。死体の山が築かれてイアーゴーがむくりと起き上がるのをみて、まさかここまで計算か?と一瞬思ったけど直ぐに違うと気付きました。計算ならば全て巧く行ったとあの邪悪な顔で嗤ったはずだ。一面血の海の部屋を見渡したイアーゴーの顔は一体何が起きたのか理解できない様な顔をしていたから。

あれはたぶんトルコ兵だったのだろう。
史実としてオスマンヴェネチア戦争で1571年にオスマン帝国(トルコ)はキプロスヴェネチアから奪っています。

(9/28追記
とあるレポを目にして少し違うなと思ったので追記。

乗り込んできた兵士の一人が「モンターノー殿!」と叫びながらモンターノーの首を斬った。


トルコ兵がモンターノーの事を知っていた?知っていても“殿”と敬称を付けて呼ぶか?というか本当かこのレポ?とか色々考えて思い出したのは、キプロスは植民地だということ。
確かにトルコ兵だけで偶然ヴェニスの上の人間が集まっている場に行くなんて到底無理がある。でも内通者が、トルコ派のキプロス兵がいたとしたら?
あのラストシーンはもしかしたら誰かの裏切りによって作られたものかも知れない。)


ロダリーゴーに“明日の晩になってもお前がデズデモーナをものにしていなかったら俺をあの世送りにしろ”と言い、祈りもせずに口を閉ざして死ぬ覚悟をし、ターバンを巻いたトルコ人が悪意を持ってまるで嵐の様に一瞬でその場の人間の息の根を止めたにも関わらず、幕が降りるその時までたった一人生きている。
オセローが、主人公が、死ぬことが幸せだと定義付けた世界で最期まで死ねなかったのはあまりにも不幸で、残酷な呪いでした。



イアーゴーと神山くん


そしてイアーゴーを演じた神山くんは、憑依タイプの演技をする人じゃないけど、確実に体のなかにイアーゴーを共存させていた。
そんな話をしたら姉が
「あれはヴェノムタイプ」
という秀逸な例えをくれたので引用します。
(なんのこっちゃって人はスパイダーマン3をみような!)
つまり嫉妬の怪物がシンビオートなんだ!!なるほど!!と納得しました。
すみませんでした、つまりイアーゴーという役が寄生タイプだって話です。じわじわと役者という器を蝕んで喰らって、いつの間にか自分が自分でなくなってしまうのではないか?と心配になるような、そんな役でした。

9/17の神山くんがギリギリ駆けつけたMステ。あのときの神山智洋の中にイアーゴーが見えてしまったし、イアーゴーの中には当たり前だけどいつだって神山智洋がいる。

25日間38公演、ロダリーゴーを刺し殺し、デズデモーナの死体に動揺して、エミーリアを抱き締めながら殺して、オセローの死にゆく様を見つめて、一人だけ生き残り、あの死体の海のなか立ち尽くしていたのはイアーゴーであり、神山智洋くんだったのです。

気が狂うんじゃねぇの?

22日夜のカーテンコールのレポを読んだ時、本気で思いました。

イアーゴーが抜けきれてない

Twitterで検索をかければ大体そんな事ばかり書き込まれていて、どうしたって心配しますよそりゃ。

それでもしっかり千穐楽まで駆け抜けて、喉もぼろぼろになって満身創痍だったと思いますが、きっとこの1ヶ月で手にしたものは大きい。
きっともっと凄いところまで行ける人だと知ってますので。期待しています。



1ヶ月間本当にお疲れ様でした。
キャストさんはもちろん、スタッフさん、各位関係者様、素敵な舞台をありがとうございました。
またこの座組の舞台に出逢えますよう!