月に手を伸ばせ、

届くわけなどなくとも。

肺による呼吸循環機能について

 

これはただの感想である。

 

 

 

月みたいだな。

劇場に入って最初に抱いた感想だ。

円形のステージは月のクレーターを彷彿とさせる模様が描かれていて、ステージ奥の出入口のようなところにも同じ模様があった。

この回り舞台は連想ゲームのようにたくさんのものを暗示させる。月、地球、周期、循環、台風、シュガーシロップドーナツ、エトセトラ。

特に時間の流れを進む人と巻き戻る人(身体的にも精神的にも)を表現するところは秀逸でとても好きだと思った。

 

「この作品は、素舞台で上演されることを想定している。背景も、家具類も、小道具も一切なく、マイムもしない。衣裳替えもしない。照明変化や音響で、時間や場所の移動を示すことも行わない。」

 

そう、LUNGSの台本の1ページ目には、原作者であるダンカン・マクミランの言葉が書かれているそうだ。

観劇前にこの言葉を知って、そんな役者の表現力に丸投げすることある?と、正直思ったし、丸投げされた推しがどう返すのか、とても楽しみにしていた。

だが私がこの言葉の真の意味を理解したのは観劇後だった。

 

丸投げされてるのは私たちのほうだ。

 

この舞台に必要なのは、二人の役者の表現力、演出班の発想力と技術力、そして観客の想像力だ。まるで落語のようだと思った。

観客の数だけ、それぞれのIKEAや車や部屋があの円形のステージの上に形作られていく。あの公園はニューヨーカーならセントラル・パークを思い浮かべるだろうし、東京都民なら代々木公園なんかを思い浮かべるのではないだろうか。名前すら自分やパートナーのものに聴こえてしまいそうなほど、「この話は自分のことだ」と思わせる力がある。まるで自分が言ったかのように、もしくは言われたかのように台詞が存在する。私は感動に共感性は必ずしも必要ではない、という考えを持っているが、この舞台ばかりは共感があるほうがのめり込めただろう。

が、残念なことに私自身はあまり共感できなかった。シスジェンダーでもヘテロセクシャルでもない私は彼女/彼に自分を重ねることは少々難しかった。まあ推しを観てるだけで楽しいので何ら問題はないが。

(このような書き方をしてしまったので誤解のないように言っておくが、もちろん共感したセクシャルマイノリティの人だっているだろうし、共感できなかったシスジェンダー/ヘテロセクシャルの人だっていると思う。他の人の感想聞いてないから知らんけど。)

なるほど、現代戯曲の最高傑作と謳われる理由が良くわかる。板の上でやる意味しかないのだ。文字にしても映像にしても死ぬ脚本だった。

 

共感こそ出来なかったが、それが出来なくても自分の中にない感情を知るというのは面白い。新たな気付きが得られる。

 

「それは僕には解れないんだ、分かるだろう?もう平等じゃないと感じてる」

 

ハッとする。男性の「産むことが出来ない」という悩みを私は知らなかった。妊娠・出産は女の負担だとばかり思っていた。私が煩わしいと思ってきたこの身体は誰かにとって特権と成り得るのだ。

子供が欲しい。

私は持っていない感情。でも知ることが出来て、ちょっと似た感情を探せた。隣の芝はいつだって青い。

彼の眼には彼女の芝が青く映っていたのだろう。性別(子供を産める身体)、育ちや学歴。台詞の端々にコンプレックスのような感情が滲んでいたし、度々言動や行動にも出ていたように思う。

 

彼らは「良い人」であろうと考えた。だから、考え続けた。思慮深くあろうとしていた。

正直私は、環境問題やジェンダー、倫理、政治経済については、考えるべきだが変えたいなら人生を賭けるしかないと思っている。

「あの子」が生きていかなければいけない世界をより良いものにするために彼と彼女はそれらを考えて選んでいたのであってその選択は各々が考えて行えばそれでいいのだ。

 

私たちは無意識的に、日常茶飯事のように、命を選別している。傲慢だ。

食べる為に殺す、生きる為に殺す。

人を殺すのはいけないことで、

子供を産むかどうかは当人に選ぶ権利がある。

ひとつも、間違っていないはずなのに、こんなにも矛盾が生じる。

他人の人生を勝手に終わらせるのは許されるべきではない。ないけど、出産は選べる。選んで良い。自身の命にも関わることだから。それでもわたしは、もしその状況におかれ、どんな選択を取ってでも自分だけ生き残ったとしたら、それは罪の意識として残るだろうと思う。一生だ。だって他人の人生を勝手に終わらせるのだから。でも誰からも責められない。私もその選択をとった誰かを責めることは出来ない。間違ってはないのだから。

正しさは一体どこに存在するのだろう。

あの舞台を観てからずっと腹の底で渦巻いているのだ。

嘘でもいいから悪くないと言って、と泣いた彼女と、悪くないと言ってしまったら嘘になってしまうから言えなかった彼は、

どうすればよかったのだろうかと、永遠に考えながら、死ぬまで生きていかねばならない。

 

 

 

最後に、素晴らしい演劇を魅せてくれた俳優のお二方、脚本演出家様、関わった全てのスタッフ様に敬意を表して。